GORE-TEX® Pro Shell用ファブリクス開発ストーリー
GORE-TEX® ファブリクスを超える 革新的な新素材を世界市場へ
Chapter1 ジレンマ
ロングセラーを超えることの難しさ。
GORE-TEX® ファブリクスといえば、防水・透湿性素材の代表的存在として広く一般にも知られる。プロユースの登山ウェアや防寒具、レインウェアに多く見られる黒字に金色のロゴをあしらったタグは、誰もが一度は目にした経験があるはずだ。GORE-TEX® ファブリクスが誕生したのは30年余り前。以来今日まで絶え間のないイノベーションが繰り返され、時代とともに進化を続けてきた。だがアウトドアチームの野崎祐一郎は、現状に満足していなかった。「この30年余りというもの、GORE-TEX® ファブリクスのベースは大きくは変わってはいない。従来の性能や機能を上回る新たな素材を生み出し、新市場を開拓することはできないか」。そんな思いを密かに自分の中であたためていた。
プロの登山家や山岳警備にあたる隊員は、ウェアにこだわる。極地に出向く彼らにとって、着衣の重量を1gでも軽くできれば、その分、より多くの燃料を携行でき、万が一のトラブルに遭遇しても生還できる確率が高くなるのだ。また極地で体を酷使するため、ウェアは損耗が激しい。そのためウェアには、耐久性が求められる。軽量化と耐久性の向上――。それは素材開発にあたるメーカーにとって尽きることのないテーマであり、各社は終わりのない技術開発にしのぎを削っている。ライバルを寄せ付けない画期的な新素材のアイデアはないものか、野崎は必死に考えを巡らせていた。
そんな中、野崎は、技術者同士のミーティングである素材を提案した。「アレをライナー(裏生地)に使ってみてはどうだろう」。野崎がいう「アレ」とは、ある生地メーカーから提供された極細繊維の織物生地を指していた。本来は表地に使うことを想定して評価試験を重ねていたが、それを思いきってライナーに使ってみてはどうかというのが野崎のアイデアである。野崎の発言に、周囲は首をかしげた。その生地は織物でできている。登山着の裏地には通常トリコットの編み物を使用するのが業界の常識であり、過去に織物を裏地に用いた例など一度もない。だがゴアでは、たとえどんなに突飛なアイデアであっても、それが頭ごなしに否定されることはない。「できない」と最初から決めてかかることは、進化を拒否するに等しい。野崎たちは、あえて「業界の非常識」に挑むことにした。
Chapter 2 試行錯誤
行く手に立ちはだかる技術的課題
技術者たちの手で、サンプルづくりが始まった。最も頭を悩ませたのは、GORE-TEX® メンブレン(※1)とのラミネート(接着)だった。通常のGORE-TEX® ファブリクスは、GORE-TEX® メンブレンに表地と裏地を張り合わせた3層構造(3レイヤー)になっている。裏生地がどれほど高性能な素材であっても、GORE-TEX® メンブレンとのラミネートがうまくできなければ、登山着のファブリクスとして使えないのである。技術開発は、難航した。裏生地の織物は繊維密度が高く、ラミネートに使う接着剤が内部にスムーズに浸透しない。また極細の繊維を使用しているため、接着剤を使うと生地の表面が固くなり、着心地を損ねてしまう。そうした課題をいかに解決するか。野崎たち開発担当の技術者たちは、大きな壁に直面した。
それでも地道にテストを繰り返し、技術的な改良を加えながら試作品づくりに没頭した。何を目的に、どんなテストを実施し、どんな結果が出たか。テストの進捗や評価データは、海外のゴアの技術担当者との間でたえず情報共有され、メールやテレビ会議を通じて実験の内容や評価方法について、活発な意見交換が行われた。接着剤を織物内部に浸透させる技術的な方法や、生地表面の固化を防ぐ技術的な方策についても、問題解決につながる貴重な意見やアドバイスが多く寄せられた。日本の登山家やアスリートは何よりもまず軽さを求めるため、野崎は軽くすることを最優先の課題ととらえ実験を繰り返していたが、海外のアソシエートからのアドバイスで、グローバルな市場も意識しながら、耐久性との両立を視野に入れたテストも取り入れ、完成度を高めていった。
こうした周囲の協力もあって、野崎らはGORE-TEX® メンブレンと織物を組み合わせた新しいファブリクスの完成にこぎ着ける。だが技術開発が終わったわけではない。生地のサンプルができると、今度はガーメント(衣服)の試作だ。サンプルの生地を使って実際に完成品をつくり、仕上がりの良さ、着やすさ、着心地などをチェックしなければならない。その結果は、十分納得のいくものだった。接着剤を使って織物をラミネートしてもウェアとしての美しさは損なわれておらず、着たり脱いだりもしやすい。その後、摩耗試験や耐久試験など、様々な試験を重ね性能を一つひとつ確かめていったが、どれも予想以上の結果が得られた。ライナーに織物を用いた初のGORE-TEX® ファブリクスがついに完成したのである。「これはひょっとすればひょっとするぞ」。幾多の技術課題をクリアして、野崎は手応えを感じていた。
Chapter 3 胎動
フィールドテストで得た成功への予感
野崎たちは、2年がかりで試作品の完成にこぎ着けた。画期的なファブリクス誕生のニュースは、定例ミーティングの場で営業サイドにも伝えられ、さっそくフィールドテストが行われることになった。新素材を用いたサンプルウェアを、プロの登山家や愛好家、メーカー専属のクライマー、小売店専属の登山ガイドなど多くの専門家に試着してもらい、性能や使用した感触を評価してもらうのだ。小売店やメーカーへの協力要請のために、山根史義らマーケティング&セールスチームが動き始めた。ゴアでは、個人の仕事の領域が一般と比べて幅広い。新製品が市場に受け入れられるかどうか、それを探るマーケティング活動も、営業担当が務める。
フィールドテストでは、試着するアスリートたちに詳細な内容を一切明らかにしない。自分の着ている物がどういうもので、何を試そうとしているのかを被験者が知れば、そこに先入観が生まれ、最終的な評価にブレが生じる可能性があるからだ。内容を秘匿することによってはじめて第三者の客観的な評価が可能となり、野崎や山根が気づかなかった新たな発見を期待できる。「新しい素材をつくってみたので、一度試してもらえませんか」。山根は、織物をライナーに使用することで従来にない軽量性と耐久性を両立させた画期的な製品であることを話したい衝動に駆られながら、それを押しとどめるのに必死だった。
フィールドテストは、1年近くにわたって実施された。「軽くて、とても動きやすい」。「荒っぽい着方をしてもダメージが少ないので驚いた」。様々な意見が寄せられた。その一方で、「素材として少し固い気がする」「擦れた時に音がするのは気になる」など、注意点も報告された。そうしたプロの意見は山根らを通じて技術チームにフィードバックされ、さらに技術的な改良が加えられた。評価は、野崎と山根が予想した以上に良好だった。国内ばかりではない。グローバルネットワークを生かし、フィールドテストは海外でも実施された。特にアラスカにある山岳警備隊員養成施設で高い評価を得たことは、野崎と山根の自信をさらに揺るぎないものに変えた。「これはビッグヒットになる」。二人は、成功を確信するようになっていた。
Chapter 4 秘策
緻密な計算のもとに練られた市場戦略
製品化にメドがついた段階で、営業戦略の立案作業が始まった。従来の素材を上回る性能を備えた画期的な新素材を使って、どんなカテゴリーのどんなウェアに製品展開するのか、どのメーカーとタイアップして製品開発に取り組むのか。また価格設定をどうするか、他社製品との差別化のためにどのようなプロモーションを行い、広告宣伝でどんな打ち出し方をするのか。技術担当たちが最新技術を分かりやすく営業に情報提供し、営業メンバーが、それをヒントに戦略を練り上げていく。どんなに優れた製品でも、市場のトレンドを読み間違えたり、プロモーションの方法を誤れば、事業としての成功は期待できない。連日、熱い議論が戦わされた。技術と営業が互いの垣根を越えて、まさに一体となりながら新事業が立ち上げられようとしていた。
営業戦略を構想する上で最大の争点となったのは、新製品をどう位置づけるかの問題である。新たに開発したファブリクスを従来製品の延長線上にある製品という印象をマーケットに与えたくない。市場へのインパクトを考えれば、従来品とは異なるコンセプトのもとでプロユースを想定して開発された初の製品であることをアピールする必要がある。また斬新性、独創性からいって、新製品は十分世界の市場を席巻できる可能性を秘めている。市場投入(ラウンチ)は日本で行うにしても、いずれは世界中に販売したい。ちょうどその頃、グローバルゴアでは従来のGORE-TEX® ブランドを製品の用途や使用目的別にカテゴライズし直し、新たなブランド展開を構築することが計画されていた。そうしたグローバルの戦略において、今回開発された新素材をゴアのフラッグシップテクノロジーと位置づけ、プロが使用するウェアのための素材として展開されることも決定した。野崎たちが苦心惨憺してつくりあげた新素材は、ゴア全体のマーケティングにも大きな影響を及ぼした。
成功を確信したチームは、アウトドア用品メーカーへの本格的なプレゼンテーションをスタートさせた。反応は、ここでも上々だった。アウトドアのマーケットを活性化しようと、メーカー各社は市場に大きなインパクトを与える新製品の登場を心待ちにしている。そんな中での画期的新素材の誕生。多くのメーカーがこれを新シーズンの目玉にしたいと意気込んだ。各メーカーで新素材を生地に用いたサンプルウエア(シーディングガーメント)の製作が開始された。それを携えて、メーカーの担当者とともに山根ら営業チームは小売店にプロモーションを仕掛けていく。自信に満ちた表情で、小売店の間を駆け巡った。
時をおかず、展示会が開かれた。出展するアウトドアメーカーの多くが、こぞって新開発の素材を用いた新作モデルを発表。展示会は、さながら日本ゴアの「新開発素材発表会」の趣すらあった。中には「トレンドに乗り遅れる」とばかり、新素材を用いたウェアをシリーズ展開するメーカーも多くみられた。展示会には、小売店が事前に最新情報を手に入れた上で会場を訪れる。画期的な新素材誕生の話題はすでに展示会開催の時点ですでに多くの小売関係者の知るところとなり、評判は評判を呼んで、会場全体を覆い尽くした。またラウンチを目前にして、新聞、雑誌などのメディアを中心にアウトドアメーカーと日本ゴア協賛による広告展開が行われ、小売店にむけてはDMを使った一般顧客への告知、織物を使ったライナーのテクノロジーを紹介したPOPツールを使った店頭での販促も提案された。まさしくトレンドの最先端をゆく新素材が、誕生しようとしていた。
Chapter 5 デビュー
スタートから4年余り、満を持して市場へ。
新開発されたファブリクスは、正式に「Gore マイクログリッドバッカー」と名付けられ、これを搭載したアウトドアガーメントが、2007年2月に日本国内の主要なアウトドアメーカーから一斉発売。たちまち市場の話題を独占した。多くの新聞や雑誌が画期的新素材としてこれを紹介し、革新的なテクノロジーに業界関係者も一様に驚きの声を上げた。当初製品化を見送ったアウトドア用品のメーカーからも、新素材を用いたウェアを製品化したいと問合せが相次いだ。工場には多数のメーカー担当者が訪れ、メンバーは連日対応に追われた。驚くほどのオーダーが舞い込み、生産能力を超えて、顧客の要望に応じきれないほどだった。
「Gore マイクログリッドバッカー」は半シーズン遅れで海外でも紹介された。アメリカとドイツで開かれるアウトドア用品の国際展示会において、大手のアウトドアメーカー各社からゴアの新素材を搭載した新作アウターが発表されたのだ。ここでも反響は予想以上だった。アメリカのソルトレイクシティで開かれた展示会(Outdoor Retailer Show※2)に参加した野崎は、大量のオーダーを抱え、顧客対応に追われる米国ゴアの営業担当たちから、「いつ納められるか?」「どれだけの数量を確保できるか?」と詰め寄られ、ホテルに足止めされて会場に向かうことすらできずにいた。「Gore マイクログリッドバッカー」は、日本だけでなく欧米のプロの登山家や小売店バイヤーのハートも同時に射止めたのだ。
話し合いが決着し、ようやく展示会場に足を踏み入れたときの異様な光景を、野崎は今も忘れない。大半のアウトドアメーカーが「Gore マイクログリッドバッカー」を生地に採用していることをアピールするため、わざわざ新作のウェアを裏返してマネキンに着せ、ブースに陳列しているのだ。中には裏地をアピールするために、表地を切り取って改良した展示用サンプルを出展するメーカーまであるほどだった。新製品の価値が、世界の市場で認められたことを野崎は実感せずにはいられなかった。しかもその新製品は、4年もの歳月を費やし、大勢のチームのメンバーと力を合わせてつくりあげた「英知の結晶」に他ならない。野崎には、「Gore マイクログリッドバッカー」に当たるスポットライトが、苦労を共にした仲間への賞賛の光のように見えた。
Chapter 6 進化
若手技術者の手で、
日々進化を続ける「GORE-TEX® 」ファブリクス
「Gore マイクログリッドバッカー」を素材に用いたガーメント(「GORE-TEX® Pro Shell」)は、野崎や山根の予想を上回る売れ行きを見せ、大成功を収めた。だが技術の挑戦はその後も性能向上に向けた改良が続けられ、終わりなき進化が繰り返されている。例えば表地の撥水性(※3)を高める技術開発も、そのひとつ。担当するのは、2009年入社の足立和俊だ。ガーメントの表地は、メーカー各社によって異なる。生地に最適な加工を施さなければ、顧客の求める撥水性を達成できない。生地の特性に合わせ、撥水性を制御する薬剤をどんな割合でブレンドするか、加工設備の条件設定をどうチューニングするか、周囲の技術者の助言を受けながらも自らの手で実験方法を考え、評価し、加工方法に改良を加えていく。すべてが自分の裁量に任される自由さが、足立には心地よい。極寒の地でウェアの撥水力が低下し、水分が繊維に浸透することになれば、時にはクライマーの命を奪うことにもなりかねない。責任感と使命感が、足立を支えるモチベーションの原動力だ。
「GORE-TEX® Pro Shell」のリリースから、5年余り。その成功を横目で見ていたライバルのいくつかが類似製品の開発に挑んだが、特許の高い壁に阻まれて、実現にはいたっていない。また従来のGORE-TEX® ファブリクスは、一般ユーザー向けの登山ウェアやレインウェアが製品の多くを占めた。そんな中で「GORE-TEX® Pro Shell」は、初のプロユース。日本ゴアが持つ技術力を集大成し、新たな市場を切り拓いたという点で画期的といえた。さらにいえば、日本の技術水準の高さを世界に示したという点でも、大きな意義があった。野崎はいう。「繊維産業は中国や台湾へのシフトが加速し、国内の空洞化が懸念されています。そんな中で、繊維業界にもまだまだやれることがあるという事実を示せたのは、大きな意義があった。繊維業界の多くの関係者に自信を与えられたとすれば、これに優る喜びはありません」。
「Gore マイクログリッドバッカー」と、それを素材に用いた「GORE-TEX® Pro Shell」は、アウトドア市場にかつてない衝撃を与えるとともに、新たなトレンドをつくり出した。だが、より良いものをめざす技術のイノベーションに終わりはない。2011年秋には、さらに革新的な「GORE-TEX® Active Shell」が市場導入され、人気を集めている。これらの性能をさらに上回る新製品の開発も、新素材のいくつかが、すでに評価実験の段階を迎え、チームのメンバーは胸を膨らませている。これまでも何度も出口の見えない壁に遭遇しては、それを乗り越えて製品化・市場拡大にこぎ着けた。「絶対にあきらめない」。その情熱を決して失わない限り、第2、第3の「Gore マイクログリッドバッカー」が彼らのもとから生み出される日が、そう遠くない将来やってくるだろう。
※1 GORE-TEX® メンブレン
水の分子(水滴)より小さく、水蒸気の分子より大きな微細な孔が無数にあいた膜。GORE-TEX® ファブリクスの最大の特色である防水・透湿性といった特性を実現するためになくてはならないコアの素材。
※2 Outdoor Retailer Show
世界中のアウトドア用品メーカーやアパレル企業が参加して行われる世界最大級のアウトドア用品の国際展示会。最先端の製品が発表展示され、日本を含め世界中から小売店バイヤーやリテイラーが多く詰めかける。その後1年間のアウトドア製品のトレンドをつくる国際展示会だ。
※3 撥水性
水を弾く性質のこと。撥水性に優れた生地は、水をかけても表面で水が小さな玉をつくり、コロコロと転がる。撥水性が落ちるとウェア表面に水が付着し、体温を奪ったり透湿性を阻害したりすることがあるため、GORE-TEX® ウェアの性能を持続的かつ最大限に発揮させるために大変重要な機能となる。